阪神・淡路大震災の記憶

2019年6月11日

今回は私が幼いころに体験した「阪神・淡路大震災」についての記事になります。
私自身も被災した一人ではありますが、身内の不幸やテレビに取り上げられる程の被害にあったという訳ではありませんので本記事の内容自体はそれほど過激な内容にはならないとは思います。
しかし、当時本当に酷い被害にあった方やその後の日本各地で起こった災害等の影響でトラウマを抱えているという方には一応「観覧注意」としておきますので、ご覧になられる場合は自己責任でお願いします。

目次

阪神・淡路大震災発生時の状況について

1995年1月17日当時、私がまだ小学生時に阪神大震災が起こり、幼いながらも初めて大きな災害の被災者となりました。
地震に対しての知識としては、言葉自体は当時から知ってはいましたが、ちょっと地面が揺れる程度で具体的にはどの様な被害が起きるか等は全く理解しておらず、阪神大震災体験をしてみて初めてその恐ろしさを知ることとなりました。
私は地震が起きた1月17日の5時46分当時、普段であればまだ確実に眠っていたはずなのですが不幸な事に?何故かその日に限っては直前のタイミングから目が覚めており、本震の始まりから終わりまでの全てを意識が完全に覚醒した状態で体感することとなりました。
この経験が今でも自分の中ではトラウマとなっており、家の近所を大型のトラックが通り過ぎた際の地面の揺れなどにもビクッ( ゚Д゚)と敏感に反応してしまいます。
これはおそらく一生治りません。

阪神・淡路大震災発生後の被害や生活への影響について

震災当時、私は兵庫県南部の某市に在住していたのですが、揺れで建物が痛む等の被害はそれなりにあったものの人的被害に関してはさほど大きくない土地でしたので、その点は不幸中の幸いでした。
私はその頃集合住宅の最上階に住んでいたので、本震の際には非常に強く揺れてタンスや食器棚、水槽等が倒れる等の被害があり家の中は本当に足の踏み場も無くなるほど目茶苦茶になったことを今でも覚えています。
もうグッチャグチャでした(´・ω・`)
揺れが落ち着いて家の中の片付けができるようになるまでの間は、割れた食器等を踏んで足を怪我しないように家の中でも靴を履きながら移動をしました。
幸いな事に我が家はガス以外のライフラインは地震当日に一応の復旧はしましたので、生活での不便に関しては被災された方々の中では比較的軽微な部類ではありました。
ただ、水に関しては震災当日は出ていたのですが、数日後に止まってしまい近所に来ていた給水車に暫くの間は助けられました。

暫くしてから水が止まった理由は、当時住んでいた建物の構造的事が原因となっており、建物の屋上にある貯水タンクが破損していた為です。
その部分から水が漏れてしまい、地震当日には使用できた水が数日後には無くなってしまったので貯水タンクの修理が完了するまでの間は使用することができなくなりました。

飲み水の方は給水などで凌ぐ事は出来ましたが、根本的に水道から水が出ず、ガスも止まっていたので風呂に入りたいと思っても自宅では入る事が出来ませんでした。
なので少し不便ではありましたが、3日に1回程度の頻度で自宅から自転車で15~20分程度の距離にある銭湯に暫くの間は通っていました。 冒頭でも触れた通り当時私が暮らしていたのは集合住宅でしたので、そこには当時の友達も多く住んでいました。
その関係で親同士でも仲の良いご近所さんとはお互いに親子で一緒に銭湯へ訪れる事もあり、少し不謹慎かもしれませんがあまり当時の状況をよく分かっていなかったお気楽な子供の身としては、友達と一緒に銭湯へ行くことが出来て少し嬉しかった記憶があります。

それから時間が経ち、次第にガスや水道が復旧すると私の自宅でも問題なくお風呂に入れる様になりましたが、同じ集合住宅の別の棟の中には復旧にはまだある程度の時間がかかる家もありました。
そういった復旧に遅れが出ている棟に住んでいた友達家族が我が家にお風呂に入りに来る事もあり、当時は不便ながらもお互いに助け合いながら生活を送っていました。
また水が出るようになっても暫くの間は節水の必要があり、風呂の残り湯を溜めてトイレを流す等の不便も続きました(´・ω・`)

震災当時の食べ物事情について

地震の当日からしばらくの間、我が家では冷凍食品を食べて凌いでいました。
幸いなことに電器は震災の発生した日にも問題なく使用することが出来ましたので、我が家では電子レンジやホットプレート等を使用して調理をしていました。
震災後は普段利用していた近所のスーパーが地震の影響で倒壊してしまい困っていたのですが、自宅から少し離れた場所にある別の個人営業のスーパーの方が震災後にも割と早くから営業を再開してくれたので、我が家も非常に助けられました。
また支援物資なども自治体へ届いていたので食べ物に困る事はありませんでした。

震災から数日後に小学校も再開しました。
私の通っていた小学校では幸いにも死者は一人も出ておらず、徐々に日常を取り戻していきました。
震災後に変わったことと言えば一時的に学校で配られる給食が市販のパンになったという点でしょうか。
どうも近所の給食センターが地震の影響で給食を用意できなくなってしまった事が原因にある様です。
当時は暢気な子供でしたので、お昼に普段の給食と違ったものが食べられる事が逆に新鮮で嬉しかったのを覚えています。

阪神・淡路大震災の被災地域の学校校舎には被災後に補強が施され、今も健在です。

阪神・淡路大震災の記憶のまとめ

今回は私自身の子供時代の被災体験についての記事となりました。
阪神・淡路大震災以降も今日までに多くの地震災害が日本各地で発生してきました。
今回の記事の内容と同じ様な経験をされた、またはそれ以上に酷い体験をされた方も日本中には大勢いらっしゃると思います。

南海トラフ巨大地震の脅威が頻繁に取り上げられている昨今、幸運にもまだ地震災害に見舞われた経験が無いという方には今回の記事を読んでいただき予め自分の住んでいる地域ではどの様な被害が想定されるか等を把握しておくと、いざという時にきっと役に立つと思います。
自治体の公表している防災マップ等を活用して、避難をする場合はどこに向かえばいいのかを事前に把握しておく事も災害時に生き残るうえでは重要となると思います。

地震予知の精度がまだまだ低い現在においては、いつ、どこで、誰が被災者という立場になってもおかしくおりませんので常日頃から色々と準備をしておく事が重要になります。
お子さんがいらっしゃるご家庭であれば特にその必要性は高まります。
そういった非常時にも役立つ知識や防災グッズなどについても次回以降にまとめていきたいと思います。

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